私が師匠と呼べる人-マエストロへの道-Part3
05/04/07 09:59 category : マエストロ


緊急企画っす。4月3日、師匠の野井さんからTELあり。お昼でも一緒にドウ? あぶない!?予感...とりあえず行ってみることに。仕事の話でいろいろ僕なりにアドバイス(生意気にも...)。そうこうしているうちに師匠そわそわ。えっ現場へ行くのが間に合わない!? 僕の愛車ホンダのスーパーカブに2人乗り。なんでこうなるの? 野井さんといるといつも珍道中。ぼくはいいけど野井さんはいいの? といつも不思議。デザイナーとしても人間としても最も尊敬する師匠ですから、今日は一日鞄持ちやらせてもらいまっす。押忍。現場は心斎橋にある沖縄料理の海人(ウミンチュ)。2Fの改装をやってました。図面は? ありまっしぇーん。現場で職人さんに細かいスケッチを書いて直接指示っす。とっても人間的。野井さんのofficeには最新のMacがありますが、師匠はあくまで手書きっす。相棒ネコの福ちゃんも元気。師匠63歳、私48歳。デコボココンビっす。まだまだおもしろ話はいっぱいありますが、次の機会に...。


野井成正デザイン事務所
http://www.noi-shigemasa.com/
http://www.ckp.or.jp/personal/noi/index.html
沖縄料理「海人」
大阪市中央区心斎橋筋2-1-3
06-6213-9554
11:30〜14:30、17:00〜24:00 日休
すぐそばに「酒や」という店もあります。これも野井さんです。
私が師匠と呼べる人-マエストロへの道-Part2
24/03/07 21:20 category : マエストロ
今回が第2弾ですが、今回は、東京は五反田製作所の世界一の家具職人、宮本茂紀さんです。有名なデザイナーやイタリアのメーカーの試作をしている方で、ビス一本から手作りできて、金工、木工何でも来い、自分で材料を探して、無断で他人の家の竹やぶに入って行ったのは有名なエピソードです。当時私が、就職していた家具メーカーをこっそり抜け出して面接に行ったら、なんとうちの家具メーカーの職人顧問だったのです。だから私が会社に帰ったら、お前、昨日宮本さんとこへ行ったらしいじゃないかと筒抜けで、びっくりするやらバツ悪いやら...。
何度かお伺いしましたが、結局雇ってはいただけませんでした。しかしいい経験になりました。当時、あの有名な喜多俊之さん(アクオスのデザイナー)の家具を試作してるとこでした。「なんか後ろ脚のない椅子を作りたいって言ってんだよね」なんて話を聞きながら、裏ネタをいろいろと。楽しかったなぁ。
スケッチも持って行ってたので見てもらうと、構造の欠点や、図面のつじつまの合わないところを即座に指摘されたので、感動したのを今でも覚えています。絶対作った人でないとわからないところまでわかるのがすごいですよね。また、私が自分で作った革の鞄を持って行ってたのですが、どうすれば取っ手がうまく立つかを懇切丁寧に教えて下さいました。家具の作り方を教わりたいから1年契約で雇ってと言ったら、ずっと来るなら雇ってやるけど1年じゃ駄目だと言われ、「デザイナーは作り方や構造なんてわからなくていいんだ、構造や作り方は職人が考えることで、デザイナーはもっと夢のようなプラン、おもしろいことだけ考えろ」というのが宮本さんの持論でした。だから喜多さんはぜんぜん図面書かないでスケッチだけだというのもその時知りましたし、宮本さんご自身も毎年イタリアに修行に行ってるという話もその時うかがいました。あの有名なのWinkchair(カッシーナ)を作ったのも宮本さんです。宮本さんがいなかったら喜多さんもこんなに有名にはなっていなかったでしょうね。日本広しと言えども宮本さんのように頭が良くて、やる気があって、発想力も、ユーモアもある提案型の偉大な職人さんはいないでしょうね...。さしずめイタリアではジョバンニサッキさんってとこでしょうかね。その後宮本さんとはいっしょに仕事はできていませんが、私の弟子が就職したりしてお世話になりました。あれが26歳くらいのときですから、宮本さんとこに行ってたら私も今頃は...。
五反田製作所
何度かお伺いしましたが、結局雇ってはいただけませんでした。しかしいい経験になりました。当時、あの有名な喜多俊之さん(アクオスのデザイナー)の家具を試作してるとこでした。「なんか後ろ脚のない椅子を作りたいって言ってんだよね」なんて話を聞きながら、裏ネタをいろいろと。楽しかったなぁ。
スケッチも持って行ってたので見てもらうと、構造の欠点や、図面のつじつまの合わないところを即座に指摘されたので、感動したのを今でも覚えています。絶対作った人でないとわからないところまでわかるのがすごいですよね。また、私が自分で作った革の鞄を持って行ってたのですが、どうすれば取っ手がうまく立つかを懇切丁寧に教えて下さいました。家具の作り方を教わりたいから1年契約で雇ってと言ったら、ずっと来るなら雇ってやるけど1年じゃ駄目だと言われ、「デザイナーは作り方や構造なんてわからなくていいんだ、構造や作り方は職人が考えることで、デザイナーはもっと夢のようなプラン、おもしろいことだけ考えろ」というのが宮本さんの持論でした。だから喜多さんはぜんぜん図面書かないでスケッチだけだというのもその時知りましたし、宮本さんご自身も毎年イタリアに修行に行ってるという話もその時うかがいました。あの有名なのWinkchair(カッシーナ)を作ったのも宮本さんです。宮本さんがいなかったら喜多さんもこんなに有名にはなっていなかったでしょうね。日本広しと言えども宮本さんのように頭が良くて、やる気があって、発想力も、ユーモアもある提案型の偉大な職人さんはいないでしょうね...。さしずめイタリアではジョバンニサッキさんってとこでしょうかね。その後宮本さんとはいっしょに仕事はできていませんが、私の弟子が就職したりしてお世話になりました。あれが26歳くらいのときですから、宮本さんとこに行ってたら私も今頃は...。
五反田製作所
私が師匠と呼べる人-マエストロへの道-Part1
24/03/07 20:29 category : マエストロ
もうデザイン始めてかれこれ24年くらいになります。23歳で大阪の専門学校に入って、デザインの勉強を2年間みっちり。その後、静岡の家具メーカー「伊豆木器株式会社」へ就職、デザイン課に所属して3年、家具のデザインやホテル、店舗の内装を経験、その後大阪に戻っていろんな人の下で働いて、独立、もちろん専門学校で教鞭もとってました。えっ!信じられない? 今でもたまに学校の立ち上げにたずさわってますよ。いないんですよね、これだけいろんな分野の人に師事して、なんでもかんでもやってきた人は...。しかも教育にまで...。これでもインテリア・デザイン学科の主任やってたんですよ...。なぜ? 本人にもわかりません。運命ってやつですよ。う ん め い。
私が師匠と呼べる人は、いっぱいいます。今回が第1弾ですが、これから何回かにわたって、巨匠の話を書きます。師匠を影響を受けた人ということでいくと、まずは、家具メーカーの上司であった野田晋一氏です。その会社は静岡の東の端っこにある伊豆半島のど真ん中にある修善寺に本社があり、日本でも有数の巨大な工場が隣接してました。当時、西武HABITATの家具もここがデザインと製造をしてました。私が就職の面接に行ったら社長と野田さんの2人が面接してくれました。すでに20人以上面接に来てたらしく、中には自分で焼いた壷を持ってきてた人もいて2人とも不思議がってました。私は三角形の引き出しのある収納家具をデザインしていたのが気に入ってもらえたみたいで、入社が決まって行ったら採用されたのは私一人だけでした。ちょっと寂しかったのを覚えています。面接のときに野田さんが言った言葉は「ぼくは売れない家具をデザインするのが仕事なんだ」。なんてことを平気でいう人なんだと思いました。社長の前で売れないもん作りますと断言する社員がいて、またそれを平気な社長もすごいですよね。こんなすてきな人の下で働きたいなと思う私も私ですが...。
入社して、いの一番に探したのはもちろん野田さんです。大きな会社だったので一日かけて探しましたが、どこにもいません。事務所に帰って聞くと、東京出張です。次の日も、また次の日も...。いません。あんまりいないので本社に帰って来たときに、野田さん、東京に行って何してるんですか?と聞くと、辺りを見回して耳元で、誰にも言うなよ...。実は遊び回ってるとのこと、その後連れて行ってもらったのは言うまでもありません。野田さんは車が好きで、それもシトロエンとか外車のみ、前から見るとカエルのような面構えの車ばかり5台も持ってて、税金払うの大変だなんて...。部品はなぜか会社に届いてました。もちろん会社の支払いで...。ほんといい時代でした。野田さんの逸話はたくさんありますが、会議中に寝るのもそれです。もちろん会社の重要な会議ですから、社長から専務、営業部長、管理部長、経理部長、全員揃う緊張感漂う本社会議です。その緊張感の中で、こっくりこっくり誰が見ても寝てます。ほんと困ったちゃんです。会議が終わってみんなにそのことを聞くと「晋ちゃんだから」と返ってきます。許されるんですね、課長なのに...。
あるときは、デスクで仕事していた野田さんが、目の前の事務員である土屋さんに「やせろ」と言うんです。かなりポチャっとした方だったので失礼なことを言うなと思っていたら、「はいはい」とその土屋さんが事務所を出て行きます。帰って来たら手にはタバコとチョコボール。チョコボールですよ。あのおもちゃの缶詰の...。よく見ると野田さんのデスクの周りにはおもちゃの缶詰がいっぱい!?。当時野田さん42歳でした。「やせろ」というのは合図だったんですね。
私が会社やめるときに野田さんが椅子をくれました。もちろん東京で、もちろん会社のお金で!? 買ってくれたのでした。フランス製の板一枚からワンタッチで立体的になる最高に素敵な椅子でした。今でも大切に持っています。多分、野田さんはデザインとはこういうのを言うんだと教えたかったのでしょうね。その会社は放任主義で、いっさいデザインも図面も教えてもらえませんでした。全部自分で、休みの日に図面をコピーして当時入っていた寮に持って帰り、勉強したのを覚えています。野田さんも何も教えてくれませんでしたが、私の目の前で失敗作ばかり作っていました。開発課の職人さんが5人いたのですが、できたよと言って野田さんに見せると野田さんが壊す。その繰り返しで、私はそれをそばで見て、こうすれば壊れるのかというのを学びました。今思うと実践教育でした。
私が会社をやめてからも野田さんと2人でいろいろやりました。野田さんもその後ACTUSに就職してシンガポール本社で仕事されてましたが、シンガポールで会社を立ち上げてからはごぶさたです。また会いたいなぁ!
私が師匠と呼べる人は、いっぱいいます。今回が第1弾ですが、これから何回かにわたって、巨匠の話を書きます。師匠を影響を受けた人ということでいくと、まずは、家具メーカーの上司であった野田晋一氏です。その会社は静岡の東の端っこにある伊豆半島のど真ん中にある修善寺に本社があり、日本でも有数の巨大な工場が隣接してました。当時、西武HABITATの家具もここがデザインと製造をしてました。私が就職の面接に行ったら社長と野田さんの2人が面接してくれました。すでに20人以上面接に来てたらしく、中には自分で焼いた壷を持ってきてた人もいて2人とも不思議がってました。私は三角形の引き出しのある収納家具をデザインしていたのが気に入ってもらえたみたいで、入社が決まって行ったら採用されたのは私一人だけでした。ちょっと寂しかったのを覚えています。面接のときに野田さんが言った言葉は「ぼくは売れない家具をデザインするのが仕事なんだ」。なんてことを平気でいう人なんだと思いました。社長の前で売れないもん作りますと断言する社員がいて、またそれを平気な社長もすごいですよね。こんなすてきな人の下で働きたいなと思う私も私ですが...。
入社して、いの一番に探したのはもちろん野田さんです。大きな会社だったので一日かけて探しましたが、どこにもいません。事務所に帰って聞くと、東京出張です。次の日も、また次の日も...。いません。あんまりいないので本社に帰って来たときに、野田さん、東京に行って何してるんですか?と聞くと、辺りを見回して耳元で、誰にも言うなよ...。実は遊び回ってるとのこと、その後連れて行ってもらったのは言うまでもありません。野田さんは車が好きで、それもシトロエンとか外車のみ、前から見るとカエルのような面構えの車ばかり5台も持ってて、税金払うの大変だなんて...。部品はなぜか会社に届いてました。もちろん会社の支払いで...。ほんといい時代でした。野田さんの逸話はたくさんありますが、会議中に寝るのもそれです。もちろん会社の重要な会議ですから、社長から専務、営業部長、管理部長、経理部長、全員揃う緊張感漂う本社会議です。その緊張感の中で、こっくりこっくり誰が見ても寝てます。ほんと困ったちゃんです。会議が終わってみんなにそのことを聞くと「晋ちゃんだから」と返ってきます。許されるんですね、課長なのに...。
あるときは、デスクで仕事していた野田さんが、目の前の事務員である土屋さんに「やせろ」と言うんです。かなりポチャっとした方だったので失礼なことを言うなと思っていたら、「はいはい」とその土屋さんが事務所を出て行きます。帰って来たら手にはタバコとチョコボール。チョコボールですよ。あのおもちゃの缶詰の...。よく見ると野田さんのデスクの周りにはおもちゃの缶詰がいっぱい!?。当時野田さん42歳でした。「やせろ」というのは合図だったんですね。
私が会社やめるときに野田さんが椅子をくれました。もちろん東京で、もちろん会社のお金で!? 買ってくれたのでした。フランス製の板一枚からワンタッチで立体的になる最高に素敵な椅子でした。今でも大切に持っています。多分、野田さんはデザインとはこういうのを言うんだと教えたかったのでしょうね。その会社は放任主義で、いっさいデザインも図面も教えてもらえませんでした。全部自分で、休みの日に図面をコピーして当時入っていた寮に持って帰り、勉強したのを覚えています。野田さんも何も教えてくれませんでしたが、私の目の前で失敗作ばかり作っていました。開発課の職人さんが5人いたのですが、できたよと言って野田さんに見せると野田さんが壊す。その繰り返しで、私はそれをそばで見て、こうすれば壊れるのかというのを学びました。今思うと実践教育でした。
私が会社をやめてからも野田さんと2人でいろいろやりました。野田さんもその後ACTUSに就職してシンガポール本社で仕事されてましたが、シンガポールで会社を立ち上げてからはごぶさたです。また会いたいなぁ!
イノベーション創出のためのシンポジウム
22/03/07 22:18 category : Design
大阪都市経済調査会主催のイノベーション創出のためのシンポジウムに参加してきました。目的は有名なプロダクトデザイナー川崎和男・師匠のレクチャーなのですが...。と言っても悪ガキの私は、友人のハーズ実験デザイン研究所の村田智明さん、ERGO DESIGN STUDIOの平田喜大さん、landDesignの浪本浩一さんの4人で途中で抜け出してティータイム! 同窓会となっちゃいました。もう村田さんと僕はメタフィスどころかメタボリックでした!? 写真は右から村田氏、浪本氏、平田氏。村田さんブレちゃってごめんちゃい。

肝心の川崎和男・師匠のレクチャーは、うーんもうパワーダウンしたか? 歳のせいか? 生彩を欠いたものでした。何よりイノベーションというガイコクゴを使っているこのシンポジウム自体デザインされてないよね。海外の概念をまだ崇拝しているとしか思えない。なんで日本語じゃないの? もちろん僕もかぶれてますよ、欧米か? だいたいポンポン・デザインなんて名前なんだもの。しかし、最先端のお偉方たちがこんなじゃね。東京にあこがれとライバル視をしている大阪のように、どうも日本人は欧米に憧れてしまう。結局デザインという概念自体が洋物ですから...ね。所詮日本人の文化とは違うんですよ。だから日本は日本で独自のデザインワールドを作ってきたし、独自の感性や考え方があります。そこが何も言われないのは悲しい。

私の感想とまとめとしては、
・デザインの概念がまだ確立されてないし、川崎さんも説明不足だった。それだけ説明しにくいことだろうけど、駄目でしょ。
・変に言葉に固執していたのと、わかりにくい説明だった。理論的すぎて理論に酔っていた。もっとわかりやすく説明できたはず。
・結局大阪は東京と違うし、考え方も経済的にも遅れている。確かにろくなやつおらんもんね。まけてくれの一点張りだし。
・びっくりしたのは川崎さんが大阪大学の教授になってたことです。いつから? 何で? しかも大阪に骨を埋めるなんてことも言ってた。ありえない。ほんとありえない。東に深澤直人がいるからか? 深澤さんもわての師匠なだけにつらいもんがあるわ。ほんま。
・それにしてもプレゼンテーションは圧巻だった。僕としては色とかデザイン的にがっかりしたけれど...。師匠のことだから、たぶん、たぶんですよ、昨日か一昨日、夜にさらさらと作ったに違いない。手抜きですよ手抜き。それができてしまうのがMacの怖いところでもあります。もっと本気出してほしかったなぁ。しかしプレゼンの大切さが改めて身にしみました。これもデザインですよ、デザイン。
・それから気になったのが、中国はデザインを策略と訳して国家戦略としてこれから取り組むと言う話だった。もうそんな状況なんだ。日本は、いやも大阪は手遅れだ。大阪人の馬鹿やろう。私の言うことをもうちょっと聞け!
デザインについては今後Schoolで解説していく予定です。誰でもデザインができるようになるために...。お楽しみに!
川崎和男OUZAK
川崎和男Progressive Inclusive Design Office(大阪大学)
ハーズ実験デザイン研究所村田智明
METAPHYSは村田智明の立ち上げた家電ブランドです。みんな買ってね!
(村田さんは、東の深澤直人、西の村田智明と呼ばれる巨匠っす。僕たちもがんばりめたふぃす。押忍!)

肝心の川崎和男・師匠のレクチャーは、うーんもうパワーダウンしたか? 歳のせいか? 生彩を欠いたものでした。何よりイノベーションというガイコクゴを使っているこのシンポジウム自体デザインされてないよね。海外の概念をまだ崇拝しているとしか思えない。なんで日本語じゃないの? もちろん僕もかぶれてますよ、欧米か? だいたいポンポン・デザインなんて名前なんだもの。しかし、最先端のお偉方たちがこんなじゃね。東京にあこがれとライバル視をしている大阪のように、どうも日本人は欧米に憧れてしまう。結局デザインという概念自体が洋物ですから...ね。所詮日本人の文化とは違うんですよ。だから日本は日本で独自のデザインワールドを作ってきたし、独自の感性や考え方があります。そこが何も言われないのは悲しい。

私の感想とまとめとしては、
・デザインの概念がまだ確立されてないし、川崎さんも説明不足だった。それだけ説明しにくいことだろうけど、駄目でしょ。
・変に言葉に固執していたのと、わかりにくい説明だった。理論的すぎて理論に酔っていた。もっとわかりやすく説明できたはず。
・結局大阪は東京と違うし、考え方も経済的にも遅れている。確かにろくなやつおらんもんね。まけてくれの一点張りだし。
・びっくりしたのは川崎さんが大阪大学の教授になってたことです。いつから? 何で? しかも大阪に骨を埋めるなんてことも言ってた。ありえない。ほんとありえない。東に深澤直人がいるからか? 深澤さんもわての師匠なだけにつらいもんがあるわ。ほんま。
・それにしてもプレゼンテーションは圧巻だった。僕としては色とかデザイン的にがっかりしたけれど...。師匠のことだから、たぶん、たぶんですよ、昨日か一昨日、夜にさらさらと作ったに違いない。手抜きですよ手抜き。それができてしまうのがMacの怖いところでもあります。もっと本気出してほしかったなぁ。しかしプレゼンの大切さが改めて身にしみました。これもデザインですよ、デザイン。
・それから気になったのが、中国はデザインを策略と訳して国家戦略としてこれから取り組むと言う話だった。もうそんな状況なんだ。日本は、いやも大阪は手遅れだ。大阪人の馬鹿やろう。私の言うことをもうちょっと聞け!
デザインについては今後Schoolで解説していく予定です。誰でもデザインができるようになるために...。お楽しみに!
川崎和男OUZAK
川崎和男Progressive Inclusive Design Office(大阪大学)
ハーズ実験デザイン研究所村田智明
METAPHYSは村田智明の立ち上げた家電ブランドです。みんな買ってね!
(村田さんは、東の深澤直人、西の村田智明と呼ばれる巨匠っす。僕たちもがんばりめたふぃす。押忍!)
デザインは最高の仕事?
06/01/99 11:09
デザインは最高の仕事であり、最低の仕事である。明確な正解というかあるいは答えが出せるかどうかもわからないのに、つまり答えもないのに答えを出さなければならないし、出すのがデサイナーの仕事である。しかも、必ずしも答えを出す必要もないのにである。良く考えてほしい